昭和46年04月05日 朝の御理解
御理解 第五十八節
「人が盗人じゃというても、乞食じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。」
御理解 第百節
「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も繁るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。」
今日は皆さんいつも本気でしょうけれども、とりわけ本気で聞いて頂きたい。今日はですね言うならば、合楽の信心の全てということになりそうですから。結論を先に、まあ結論的なところを先に申し上げときますとね、「吉野山 踏み迷うても 花の中」どなたかの句である。私は合楽の信心の最終的なおかげというのは、ここの境地を開くことだと思うのです。「吉野山 踏み迷うても 花の中」人間ですからね、どこに御粗末御無礼があるとも限りません。
または道を踏み外すようなことがあるかも知れません。だけどもやはりそれは花の中だと言われる。今朝御神前に出らせて頂いたら、吉野山のいわば、吉野桜と言うですね、吉野桜の一杯頂いてその吉野桜に言わば、仮名遣いをするようにですねサクラと頂いた。桜はこんな桜の花、佐田さんの佐です人偏に左、クは苦しいという苦です、楽と言うのは合楽の楽ですね。「佐苦楽」。それで私はこれは、合楽の信心の全てだと言った様な風に思わして頂いた。佐は合楽のことじゃないでしょうか。
人偏に左。苦は修行の苦だと思います。楽はおかげのことだと思います。言うなら合楽流とでも申しましょうかね、合楽風とでも言うか、合楽的いわば修行。合楽的楽おかげというわけです。そこでもう一つ結論的なことを言うと、最近私が言っております、これは親鸞上人様の言葉でこう言う、「万の事皆もて 空言戯言」と言っておられますね。「万の事皆もて 空言戯言」だと。
親鸞上人様が何十年間という、いわば一生を通しての信心生活の中から、まあ結論としてですよね、出された言葉だろうと思うのです。自分はずっと信心は様々な信心をしてきたことだけれども、それはみんな空事だったと。戯言に過ぎなかったんだと是は確かに親鸞のもう、愈々晩年の頃の言葉である。それからもう一つこれは最近言っとります「良き人の仰せを蒙りて 信ずる他に別に子細なきなり」と、この様な事をです結論に向けているでしょうから、第五十八節と百節から頂きましたですね。
そこで合楽的修行というとどういうと、どういう事になるか、言うのは私はこの五十八節に絞られると思うです。人が盗人じゃと言うても乞食じゃと言うても腹を立てない。という事はどういう事かと言うと、どういう難儀な事があっても、どういう事があっても、どういう事を言われてもです、腹を立てんで済むということはね、辛抱しておるというのではなくて、それを信心の稽古の材料として、または修行として受けて行くのですから、そのことは全てが楽しいと言う事。
ですから是は私が、ここ二十年間の私の信心を見て下されば分かるでしょうが。本当に泥棒と又は乞食まぁとにかく非人間、人非人だとまでいわば思われたり、言われたりしてきておる事実をね、私は腹を立てとりませんもん。その事でいつも信心の稽古をさせて頂いたしその事で私の信心が一段一段深く広くなって参りました。だから是はです所謂合楽で言うと、成り行きを愈々大事にして、成り行きをいわば尊んで来たその事自体も。と言う事になる訳ですね。そこで信心の帯をせよと言う事になる訳です。
先日からもこの五十八節を頂きました。「しっかり信心の帯をせよ」と言う事はです。今日もどのようなことが、もし起きて来るか分からない。けれども起きて来るその事態それを全部がです、神様の御神意としてそれを有難く頂いて行こうとする、成り行きを大事にするという生き方。だから今日は神様がどの手で鍛うて下さるだろうかと、しっかり信心の稽古をさして頂く、楽しみを一杯心に持っておることが、信心の帯をすることだというう風に頂いておりますね。
信心の帯をすると言う事は、毎日日参り夜参り出来ておると言う様な事ではない。人の真似の出来ん様な、例えば修行でもする事ではない。信心の帯をすると言う事は今日も一日どの様な事、全ての事を有難い勿体ないで受けて行く、所謂信心の稽古の材料として受けて行こうという姿勢を作った時です、もうあなたはしっかり信心の帯をしたと言う事になるのです。だからこういう生き方が成程合楽の。
所謂佐苦楽の苦の字ですね、合楽的修行。だから合楽で信心する修行と言ったら、ここんところを取り組まなければ修行にはならんのです。ただ今申しました事が、大体腹に入りましたですね。ただこれは合楽で、本当の佐苦楽という最後の楽いう字ですね、苦楽、合楽的信心の苦楽、いわゆる修行、楽ということは極楽の楽です。いわゆる合楽と言う本当のおかげの、基礎になるところですからね。
今のところよく、本当に腹に入れておかないといけません、そしてそこに取り組む、それは勿論有難い楽しい事になります。ここを本気で取り組ませて頂くと。そこでです上人様がご晩年の頃に言うておられるといった、「万の事 皆もて空言 戯言」と言うこと。何十年間というご自身の信心生活、様々な事を分かられた。振り返ってみると皆んな空言であった。戯言にも似た事であったとこう言うのである。
昨日私は親先生が病院に入院しておられますから、お見舞いにやらせて頂きましたら、たまたま幾人もの先生方が見えておられました。いろんな信心話が弾んでおりました。それを聞かせて頂きながらです。まぁ私が言う皆もて空言戯言を実感してきたわけです。というのはね、これは私自身の信心でもそうです。一番初めに私が本気で信心させて頂かにゃ、今までのような信心じゃ駄目だったと気付いたのは終戦直後です。終戦そして何十年間働いてきたものが水泡に帰してしまった。
そして裸同然で引き揚げて帰って来た。この親に喜んでもらおうこの親に安心してもらおうと思うてわざわざ外地辺までも、いわば働きに出たのに裸で帰って来ておる自分の姿が、余りにも惨めである。帰ったはなは酒の配給でもしておりましたから、食べるに事欠く事はなかったけれどもそれも束の間で、配給が国の政治のために出来なくなった。そこでです今どもこの親に死なれたら、目も当てられんと私は思いましたね。
ですから神様どうぞ、私が一人前の商売人にならして頂いて、親に存分の孝行の出来るまで、親に命のおかげ下さいというのが願いであった。その代わりにどげな修行でもしますというのが、私が一番初めに思うたことでした。それから今まで何十年かして来た信心とは、全然違った信心になったわけです。その親に孝行したいというばっかりに、一生懸命打ち込んだ。
そのための修行ならどげな修行でもします。その代わりに親が死んだら明くる日、私がまた元の木阿弥に戻ってもかまわんと言うのが私の願いであった。だからこの親がおる間に、一つ儲け出さして下さいと言うのが私の願い。それからここに初めて御神意を頂く方の場合によくこれを言うんです。あなた方が親不孝しようとは思わんだろうけれども、親孝行しとうてたまらんということはなかろうがと。親不孝しようとは思わんまた親不幸しようと思う子供がおる筈はない。
けれどもほんならこの親に喜んで貰わにゃおられん、親孝行せにゃおかれんと言ったのはごく少ない。そう言うのを言うなら孝子というのだ。親孝行とはそう言う事。だからね一つ本気で先祖様を大事にしなさい。親を大事にしなさい。もうさせて貰わにゃおられんという気持ちに、あんたがなるならもうそれであんたはおかげを頂くと私が言うた。神様と通うからそういう心が。
親に喜んで貰わにゃおられんという心が神様に通うから、おかげになるのだ。是はその時点において、私は私の最高の信心であり、本当の事だと思い込んでの信心である。だから嘘ではない。ところが段々信心させて頂いておったらね、是は肉親の親よりか、もっと大事な親があることに気が付いてきた。いわゆる親教会といい親先生といい、だから私は親教会に尽くしさえすれば、親先生に尽くしさえすれば、言うならば家の親の事は神様が見て下さる、そういう感じになった。
まあならせられて来た。信心が段々いわゆる御用御用という信心を教えて頂いた訳です。御用すりゃ助かる、御用すりゃ徳が受けられると言う様な、昨日はそういうお話ばっかりを、先生方がなさっておられました。だから私にはですねもう親を大事にするということから、信心が始まったけれども、次のいわば時にはもうその事は空言になった訳です。もう私には戯言のようになって来た。
私は親先生に尽くし親教会に尽くしさえすりゃもう親孝行は出来る。神様が親孝行させて下さるのだと確信が持てるようになった。それはまあ本当に、その時分は、私の信心は、何処に行っても、説教の材料にならないことはない程しの打ち込み方でした。それで、やっぱりおかげを受けました。ところが段々信心を進めさせて頂きよったらですね、今度は、少し教団のことが分かって来た。
金光教という信心が、いわば教団的な事が分かって来た。そして教祖様がご出現百年経たせ、いわば百年祭を目指して、その当時信心しておりましたからねみんなが。百年も経った金光教で、今日のような金光教で良いだろうかと、いわゆる金光道そのまま天地の道だと思わして頂いておる、その金光道が天地の道が何とはなしに、やっとかっとしか通れんような小さい道に感ぜられて来た。これは私は道修繕をせねばならんと思い出してきた。その頃から。
もうその頃から私は親先生もなからなければ、親教会もなかった。その頃大変な非難があった時代です。けれども私が教団のことの、いわばそういう金光道というものの道修繕を、私はさせて頂かにゃと言った様な自覚に立って、信心を一生懸命、私が道修繕が出来たという訳でもなからなければ、そんな大袈裟な信心が出来たわけでもないけれども、私の思いの中にはそれであった。これは大変なことだと。教祖様が言わばこの尊い道を立てられて百年になった。
三代金光様は当時どう言っておられたかというと「全教一新、全教一家」と言う事をもう道のいわば一つのスローガンとして、そのことを言っておられたけれども、そのことが一つも行じられておられないような気がした私は。これは全教一新しなければいけない。教祖の神様の、あのご時代のように、触れば温かみを感じる様な、つつきゃ血が飛び出るような、そうした生き生きとしたものがなくなっておる。
百年前の教祖の信心に帰れというのが、私の信心の心の励ましでありまた一つの鞭にもなった。まあそれからそれこそ、今から考えてみると、もう今考えても身の毛のよだつような信心修行でもいとわないというぐらいなものが生まれて来た。そしたらもういわば、親教会を大事にするとか、親先生を大事にするとかと言った様なことやらは、もう私の前には空言になってきた戯言になってきた。
と言うて決してそれが嘘でも戯言でもないですよ。一段と信心を進めた時にそれはいわば、虚しいことだと。戯言になるだけのこと。だから皆さんがです本気で親孝行しようごとしてたまらんちゅうことになりゃ、絶対おかげはそこから受けられますよ。けれども、信心を進めて行くと、もっと大きな親があることが分かり、そして進めて行きよると、もっと大きな親があることが分かってくるんですよ。
その頃です、桂先生の御信心でありますところの、「親に不幸をして神に孝行をし、親に孝行する氏子がある。親に孝行をして神に不孝をして、親に不孝をする氏子がある」という信心いかにも成程、親には不孝しておるごたる、親先生には不孝しとるごたるけれどもですそれが必ず、神様の方へ孝行尽くしよるのだから、勿論神様が親孝行させて下さる時期が必ず来るというのが私のそん時の思いであった訳です。
本当に全教一新すると言う事が、しかも全教が一家にならして貰う。その当時はいろんなやっぱり派閥がありましてね、久留米関係、甘木関係、博多関係と言った様なこの近所ででも三つの大きなそういう主流がありました。親教会博多関係、福岡関係、久留米関係、甘木関係と言う様に。そして何とはなしにですそこに何かこう昔の親分達の縄張り的なようなものがあってね、何かそれをそこのとこには何かこう信心の世界に、こういう事があって良かろうかと言った様な、嫌なものを感じられる時代でありました。
「全教一家」とあのように三代金光様が言うておられるのに、一家どころか他人よりも浅ましいような状態を見せて頂くにつけてです、いよいよいけないなという感じでした。これは所謂、教祖の時代に帰らなければというのが、私のその時分の修行の焦点でした。ですからこれは、今まで親に孝行しとったのが、親に近う近うするから親は出来損なって行きよる。私は当時親先生に申しました言葉の中に、親先生暫らく辛抱しとって下さいと。長い目で見とって下さいと。
ここに止むに止まれん向学心を持っておる子供が、東京に出て例えば苦学でもしようと言うておると思うて、暫らく長い目で見ておって下さい。これが私が親先生に対する願いでしたその当時。必ず帰ってきますと。必ず言うならば勉強を修めて必ず帰ってくる。あんたがそげなことばっかり言うてと、親先生は言いよりなさいました。そして所謂苦学時代が始まった訳です。
そしてですね金光道というか、そういう道が百年経っておる間に、もうガタガタになっておるような、これは私の感じですよその当時の。そんな感じがした。これは道修繕ということがです「全教一新、全教一家」と言う様な金光様のお言葉に基づいてなされなければならない時が来ておると言う事になって来て、全教が本当に一家のようにならなければいけないような考え方が、それは束の間でしたそういう考え方は。
金光教てんなんてんち言うちから、こまかこと言うちから、これはそげなことじゃなかと思ったんです。全教一家ということはねあらゆる宗旨宗派、もう人が助かるという程しの、例えば事のために生まれておる宗教ならです、仏教であろうがキリスト教であろうが、何々様であろうがです。本当に人助けの事のために精進する人達が、寄って一丸になってです世界救済に立たなければならないな、全教一家ということは、そういうことだという風に考える様になったです、私は。
全教一新するということは、例えばそういう様々の宗教が、まるきり自分つが一番良かって、人のとは悪かごたる言い方をして、人のとは邪教のように言うたり、もう宗教人同志が、醜い争いをしておる。そういう姿がですもう私は本当に天地乃親神様がご覧になったら、悲しまれるだろうと思うようになったです。だから何々教にならなければならん、何々宗にならなければならんのじゃない。
そういう人が助かる事のために、世の中が清まって行くことのために精進する宗教があるなら、そういう宗教が寄り合って話し合って、いわゆる全教一家という事にならなければいけないなと言う様な考えが出来るようになったんです。そういうもう腐敗しきっておるような宗教が、元の宗祖、教祖といった様な時代の、生き生きとした信心に帰らなければ嘘だというようなことを感じるようになりました。
だから今度は私が、今までずーっと考えていた過程をですね、振り返ってみると、小さい考えである。それは間違った考えであるとさえ思うようになって来た。ここのところを、私は、親鸞上人様は仰っておられるのじゃなかろうかと思うです。色々の事を、皆もて空言戯言だと、九十何歳になられてから、自分の踏んできた信心の道を見てそう言うておられる。述懐しておられる。
そこで私は思うた。ですから信心とは、結局、より本当なことを求め続けて行くことなのです。ですから、昨日、私、聞かせて頂いて、先生辺りの話を聞いて、親教会に尽くさにゃ、親教会にどうせなければという様な話が、何か空言戯言のように、私には聞こえたというのです。その時点においては、それは嘘ではない。けれども、それが本当の本当ではないということ。
それでいてです、段々、いうなら、私の思いが大きくなってきたから、親先生にも不孝して来たから、親教会には尽くさなかったかというと、決してそうじゃないです。私の肉親の両親からは、もう本当に、この世に極楽というのがあるなら、私ども夫婦のことじゃろうと、私の両親は喜んでおります。私は、決して、撫でたりさすったりする訳でもなからなければ、着物を作ってやる訳でもなからなければ、とりわけ、と言うて美味しいものを、私が運ぶわけではないけども、両親はそう言うております。
さあ、ほんなら、私が、今、言う、親教会に何かという時には、恐らく親教会の、沢山の信者がおられる中に、私はおかげの、いわば、頂き頭であろうと自分で思うております。さあそのもいっちょ親の久留米教会に、この頃から、御造営がありましたが、恐らく、私は、言わば孫の教会でありますけれども、孫の教会としては、私が一番最高のおかげの頂き頭じゃなかろうかと、こう思います。
ついこの頃、小倉の、いわば、御本部と言われる、九州本部と言われる小倉の教会、私のためには、だから、福岡、久留米、善導寺、私ですから、玄孫にあたりますかね。普通ならばもう、縁はないくらいです。昔で言えばね。それでも私は、記念祭があると言や、総代さん方に全部行って頂きましてから、その前にお供えもさせて頂いた、ご祭典費もお供えさせて頂いた。恐らく玄孫なんかでは、私が一番のおかげの頂き頭じゃなかっただろうかと思います。
ですから、例えば、そういう私の信心の過去というものを踏んまえて、段々、信心の世界というものが、心の中に広まって参りましたら、後のことは空になるというのではないです。それは私にとってはもう、空言なんです。ですから、私は、そんなに親教会に尽くしよるとも思わなければ、例えば小倉やら、久留米あたりに尽くしよるとは思いません。もう当たり前のこととして、言うならば、淡々として出来ておるというだけ。そういう御用してから徳を受けようなんて、身に思いは更々ありません。
昨日の話は親教会に尽くさせて頂いて徳を受けにゃ、お徳を受けるのはこの御用だけだという様な話を、皆さんなさっておられるのを聞いて、私は何とはなしにそげなことじゃなかちこう言いたいような感じでした。けどその方達にとっては本当なこと。もう私にはそれは空言なんだ。戯言なんだ。と言うてほんなら私はその間のことを御粗末にしとるというのじゃなくて、いざ何かという時にはです。
そんなら私は、それはもう御用さして貰うと言った様な御用精神なんていうのじゃなくてね、親が子を見るのは当たり前でしょうもん。いや子が親を見るのは当たり前でしょうもん。親が子を見るのも当たり前なら、子が親を見るのは当たり前。もう当たり前のこととしてなされておる。それでいっちょ徳を受けよう、力を受けようなんて思いは、更々ありません。だから唱えることとは大変違うわけなんです。
そこで御理解百節。「めでためでたの若松様よ、枝も栄えりゃ葉も繁ると言うではないか」と。「金光大神は子孫繁昌家繁昌の道を教える」とあります。これは皆が願って願って止まないことなんです。果たしてほんなら、皆さんの私共の過去の方達が踏んで来ておる、しておる、金光様のとても良い信心をして来たという人達が、果たして子孫繁昌になっておるでろうか。家繁昌になっておるであろうか。
あっちの先代は、熱心な総代までして、御用の出来た方じゃったけれども二代になったら、三代になったらもうどこに行ってござるか分からんちゅうごたる風になっておるという人が、沢山あるということを知っております私は。金光大神が「子孫繁昌家繁昌の道を教える」と仰るのに、その道を教えてもらうのに、ただ御用御用ばっかり言うて来たからです。お供えすれば助かると言った様な事だけに終始したからです。
金光大神が言われたことを守っていない。さぁそこでです親鸞上人が言われる、「善き人の仰せを蒙りて信ずる他に、別に委細はない」御用じゃないお供えじゃない、金光大神が教えられたことを本気でです。それを信じて行じて行く以外にはない。そこには絶対の、所謂めでためでたの若松様よと言う様な繁昌が約束されるのだと、と私は確信しておる。そこでです教祖様の仰っておることの全てがね。
なかなか出来ませんけれども、今日私が申しております、例えば泥棒だと言われても、乞食だと言われてもというところ。いわゆる腹を立てない、しっかり信心の帯を締める。そこを、今日は私は、合楽の信心の全てだと。また初めに今日の御理解の結論を先に申し上げましたですね。合楽の信心の全て、いわゆる私の信心の全て、それは例えば、どのようのことであっても、それをその成り行きを、神様のお働きとして、大切に尊ばせてもらい、有難く合掌して受けて来たと言う事。
泥棒と言われても、乞食じゃと言われても、人非人だと言われてもです、それを黙って受けて来たということ。しかもです今日を一つ本気で、信心の稽古をさせて頂こう。どういうことが起こってくるか分からんけれども、それを有難く頂こうという姿勢であったと。これが合楽の信心の修行の姿勢なんです。そこのところのおかげを、先ずその姿勢が出来、そこのところが基礎になってのおかげでなければならない。
皆さん今日の御理解は一つ、よう分からにゃいかんとですよ。言うなら私の信心の全てであり、私の受けておる様なおかげは、皆さんも受けられるというのですから。しかもめでためでたの若松様よと言う程しにです、子孫にも家繁昌につながって行こうという御教えなのですから。それが私共の信心の過程というものがです、本当に今まで言うて来たことが、空言だ戯言だと言えれる程しにです、次の本当な信心に進む姿勢を作っとかなければいけないということなんです。
そして私共の願いとしてはです、その有難い信心を、世界平和のことのための基礎になる程しの信心を、世界中の隅々まで広げて行こうという願いを持っていることなんです。そういう大きな意味合いにおいて、信心が出来る時にです、大は小をかねるという私が申して参りましたですね。私の曾孫爺さんであるところの、甘木からずうっとこうまあ言うならば、親孝行という事までは出来とらんに致しましてもです、もう当たり前のこととしての御用が出来るということ。
そしてそういう御用で徳を受けようなんて、ケチな考えは一つも更々持たない。お徳を受けるというなら、どこまでも久留米の初代が仰ったという、神様の御信用を頂く以外にはないのだと。だから、神様の御信用を頂くためには、その神様を尊ばなければならない。神様を大事にしなければならない。それを私は例え泥棒だと言われても、乞食じゃと言われても、いやどのようなことがあってもということ。それを修行として合掌して受けて行こうという、信心の帯をしっかりする以外にないと言う事。
教祖はそこをそれを教えていられるのですよ。それでいてもです人間生身を持っていることであるから、どこにお粗末ご無礼があるやら分からない。いやいつ道を踏み外すか分からなくってもです、そういう信心の苦楽佐苦楽合楽的佐苦楽とは、佐田の佐クとは苦しいの苦これを修行、ラは楽という字だから合楽の修行、合楽でのおかげの現われ方、合楽での修行の姿勢といった様なものが、この佐苦楽の中にあるわけです。
それでいても私共はどこにお粗末ご無礼があるやら分からん。いつどう言う所に転落するか分からない。けれども転落したそこでもです、やはり天地の親神様のお懐の中だという頂き方。いわゆる「吉野山 踏み迷うても 花の中」である。そういう素晴らしい境地が拓けてくるというのが、今、私は、合楽で一生懸命、皆さんに聞いて頂いておる信心だと思うのです。
例えば合楽の信心の全てを、三十分、四十分でお話し出来るとは思われませんけれどもです。そのところを一つの骨子としてですね、よく私が、日頃、言っておることを頂いてご覧なさいませ。これは成程、合楽の信心の全てだ。修行またはおかげの実体というものがです、そのような信心から生まれておるんだということが分かって参ります。
どうぞ。